目次
JAと農家の関係性:知られざる日本農業の裏側
JAとは何か:巨大組織の基本構造
JA(Japan Agricultural Cooperatives)は、戦後の1947年に農業協同組合法により設立された、農業者による相互扶助組織です。しかし、その成り立ちは単純ではありません。戦時中の統制組織「農業会」の資産・人員をそのまま引き継いだため、「看板の塗り替え」に過ぎないという批判も存在します。
独特な三段階組織構造
JAは効率的な事業展開のため、特徴的な三段階の組織構造を持っています。地域に密着した単位JA(地域JA)が組合員に直接サービスを提供し、その上に都道府県レベルの連合会、さらに全国レベルの組織が存在します。この複雑な構造が、意思決定の遅さや現場との乖離を生む要因となっています。
組織レベル | 主要組織 | 役割 |
---|---|---|
全国 | JA全中、JA全農、農林中金、JA共済連 | 総合調整、全国展開事業の統括 |
都道府県 | 県中央会、県信連、県経済連、県共済連 | 県域での事業調整・支援 |
地域 | 単位JA(585組合) | 組合員への直接サービス提供 |
「ゆりかごから墓場まで」の総合事業
JAの最大の特徴は、農業支援だけでなく、金融、保険、生活サービスまで提供する総合事業体であることです。営農指導事業、販売事業(共同出荷)、購買事業(資材の共同購入)、信用事業(JAバンク)、共済事業(JA共済)という5つの主要事業に加え、病院運営から葬祭事業まで手がけています。
力関係の実態:農家は本当に主役なのか
表向きは「農家のための協同組合」であるJAですが、実際の力関係は複雑です。個々の農家は小規模で市場交渉力が限定的なため、JAに依存せざるを得ない構造があります。一方で、価格決定権はJAが握り、農家は受け身の立場に置かれることが多いのが実情です。
逆転した組合員構成
令和4年度の組合員数
・正組合員(農家):393万人
・准組合員(非農家):634万人
・総組合員数:1,027万2千人
出典:農林水産省統計(2022年度)
この数字が示すように、現在のJAでは農家ではない准組合員が多数を占めています。准組合員は事業を利用できますが、総会での議決権や選挙権を持たないため、JAの運営に関与できません。これは「利用者がコントロールする」という協同組合の基本原則から大きく逸脱しています。
委託販売制度の功罪
JAの委託販売制度では、農家は生産した農産物をJAに委託し、JAが価格を決定して販売します。農家は出荷時に概算金を受け取りますが、最終的な精算まで1~2年かかることもあります。この制度により、農家は価格設定に直接関与できず、市場相場に翻弄される立場に置かれています。
政治との深い関係:農政トライアングルの実態
JAの政治的影響力は、日本の農業政策を理解する上で無視できない要素です。かつては「農政トライアングル」と呼ばれる農水省、JA、農林族議員の三者による強固な利益共同体が存在し、日本の農業政策を左右してきました。
TPP反対運動の記憶
2010年代のTPP(環太平洋パートナーシップ協定)交渉では、JAは1,000万人以上の署名を集める大規模な反対運動を展開しました。この運動により、重要5品目(米、麦、牛肉・豚肉、乳製品、砂糖)の関税撤廃例外を実現させ、その政治力を内外に示しました。
2015年農協改革の衝撃
しかし、2015年の安倍政権による農協法改正は、JAの政治的影響力に大きな転換点をもたらしました。JA全中の監査・指導権限が廃止され、特別認可法人から一般社団法人への格下げが決定。これにより、かつての強大な統制力は大幅に削がれることになりました。
歴史が語る変遷:戦後農政の光と影
JAの歴史を振り返ると、日本の農業と農村社会の変化が浮き彫りになります。戦後の農地改革で生まれた自作農を守るという崇高な理念から始まったJAは、時代とともにその性格を大きく変えていきました。
高度経済成長期の変質
1960年代の高度経済成長期、JAは本来の農業振興から金融事業への傾斜を強めていきます。兼業農家の増加により、サラリーマン収入がJAバンクに預金される構造が形成され、農林中央金庫を中心とした金融業がJA事業の中核となっていきました。
重要な転換点
2010年:准組合員数が正組合員数を上回る
2015年:農協改革法により、JA全中の権限が大幅に縮小
2019年:JA全中が一般社団法人に移行
現在直面する深刻な課題
2020年代のJAは、かつてない規模の危機に直面しています。組織の根幹を揺るがす問題が次々と表面化し、その持続可能性が問われています。
農林中金の巨額損失
2025年3月期の衝撃的な赤字予測
・最終赤字:約1兆9,000億円
・資本増強:JAグループから1兆2,000億円
・影響:全国191組合が赤字転落の可能性
※リーマンショック時(5,721億円の赤字)を大幅に上回る規模
この巨額損失は、米国金利上昇により低利回り外債で「逆ざや」が発生したことが原因です。市場運用資産56兆円のうち約6割を海外債券に集中させていたリスク管理の甘さが露呈しました。
「自爆営業」の実態
JA共済における過酷なノルマ主義は、職員が月額平均5万4,067円(最大40万円以上)の不必要な共済に自腹で加入する「自爆営業」を生み出しています。JAおおいたでは、職員の約7割が給与総額の1割以上を共済掛金として支払っていることが第三者委員会の調査で判明しました。
若手農家のJA離れ
都市近郊では、「東京NEO-FARMERS」のような若手農家グループが、JAを通さず独自の販売ルートを開拓しています。彼らは「何を作るかを自分で決め、自分で売るために農業を選んだ」として、JAの画一的なシステムを敬遠。SNSやECサイトを活用した直接販売が急速に拡大しています。
問題の本質:構造的な矛盾
JAが抱える問題の根源には、いくつかの構造的な矛盾が存在します。これらは単なる運営上の課題ではなく、組織の存在意義そのものに関わる本質的な問題です。
協同組合原則からの逸脱
最大の矛盾は、事業利用者の過半数を占める准組合員が意思決定に参加できないという点です。これは国際的な協同組合原則である「利用者による民主的管理」から完全に逸脱しています。農家のための組織でありながら、非農家に依存する構造は、JAのアイデンティティを根本から揺るがしています。
金融偏重の事業構造
事業部門 | 収益状況(2022年度) | 問題点 |
---|---|---|
信用事業 | 2,546億円の黒字 | 農林中金の巨額損失リスク |
共済事業 | 1,229億円の黒字 | 自爆営業による職員負担 |
農業関連事業 | 79億円の赤字 | 本業の赤字体質 |
この数字が示すように、本来の使命である農業関連事業は赤字で、金融・保険事業の収益に依存する構造となっています。これは農業振興という設立理念との間に大きな乖離を生んでいます。
国際比較で見えるJAの特殊性
世界各国の農業協同組合と比較すると、日本のJAの特殊性が際立ちます。総合事業体として「ゆりかごから墓場まで」を標榜する組織は、国際的にも類を見ません。
各国の農協モデル
デンマークやオランダの農協は事業特化型で、農産物の販売や加工に集中しています。アメリカの農協も、マーケティング、供給、サービスといった機能別に特化。これらの国では、農業金融は別の専門機関が担当するのが一般的です。
一方、韓国の農協(NACF)は日本のJAに似た多目的システムを採用していますが、政府の政策実施機関としての性格がより強く、農家の参加率は98%に達しています。日本のJAのような准組合員問題は存在しません。
成功モデルからの示唆
ニュージーランドのフォンテラは、合併により世界最大級の乳製品輸出企業となりました。デンマークの農協は、輸出志向と国際競争力を重視し、Arla FoodsやDanish Crownといった世界的ブランドを育てています。これらの成功事例は、事業の選択と集中、国際展開、農家主導の経営という共通点を持っています。
改革への道筋:何が必要か
JAが直面する課題は深刻ですが、改革の芽も見え始めています。問題は、既得権益を守ろうとする力と、変革を求める力のせめぎ合いの中で、どちらが優勢になるかです。
成功する新たな関係性
滋賀県のフクハラファームは、JA全農滋賀県本部と3年間の価格固定契約を結び、大規模農業法人とJAの新しい協力関係を築きました。また、まんま農場のように、JA施設の利用料を支払いながら独自販売を続ける「部分的連携」モデルも登場しています。
求められる構造改革
専門家からは、以下のような改革案が提示されています。信用・共済事業への過度な依存から脱却し、農業事業に特化または事業分離を進めること。主業農家による専門農協の設立を促進し、一人一票制から利用度に応じた発言権制度への転換。そして、デジタル化による抜本的な業務効率化が急務とされています。
JAグループが掲げる「創造的自己改革」の3つの基本目標
1. 農業者の所得増大
2. 農業生産の拡大
3. 地域の活性化
これらの目標と現実のギャップをどう埋めるかが、改革の成否を左右します。
結論:転換期を迎えた巨大組織の行方
JAと農家の関係は、戦後日本の農業政策の歴史そのものです。相互扶助の理念から始まった協同組合は、時代とともに巨大な総合事業体へと変貌し、今や1,000万人を超える組合員と100兆円を超える資産を持つ組織となりました。
しかし、その巨大さゆえの矛盾も深刻化しています。農業振興という本来の使命と、金融・保険事業への依存。農家のための組織でありながら、非農家が多数を占める組合員構成。そして、若手農家の価値観との乖離は、組織の存在意義を根本から問い直しています。
2024年の農林中金の巨額損失は、JAグループ全体に衝撃を与えました。これを単なる金融事故として済ませるのか、それとも抜本的な改革の契機とするのか。日本の農業の未来は、この選択にかかっています。
JAが真に農家と農業のための組織として再生するためには、既得権益からの脱却と、現代の農業ニーズへの適応が不可欠です。それは容易な道ではありませんが、日本の食と農の未来のために、避けて通れない課題なのです。
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