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米FRBが7月利下げに慎重な理由 – 2025年の金融政策を読み解く
米連邦準備制度理事会(FRB)の政策当局者から、7月の利下げに対して慎重な姿勢が相次いで示されています。6月のFOMC(連邦公開市場委員会)で政策金利を4会合連続で据え置いた後も、この慎重姿勢は続いており、今後の利下げのタイミングとペースを巡る状況は複雑さを増しています。本記事では、FRBの慎重姿勢の背景、各政策当局者の詳細な見解、そして今後の金融政策の行方について、最新の調査資料を基に徹底的に分析します。
FRBが利下げに慎重な3つの主要因
1. インフレの不確実性 – 2%目標への道のり
FRBの最大の懸念事項は、インフレ率が目標の2%に安定的に戻るかどうかという点です。過去2年間でインフレは大幅に緩和されましたが、依然として目標を上回っている状況が続いています。
特に注目すべきは、2025年の最初の2か月間のインフレデータが予想を上回ったことです。住宅以外のサービス価格のインフレも高止まりしており、これらの要因がFRBの慎重姿勢を強めています。
経済協力開発機構(OECD)の経済見通しによると、トランプ政権による関税引き上げが実施された場合、2025年の米国のPCEデフレーターが前年比2.1%から2.8%に、コアPCEデフレーターも2.3%から3.0%に上振れする可能性が指摘されています。この予測は、FRBの政策判断に大きな影響を与えています。
さらに、企業からは原材料への潜在的な関税の影響により値上げを余儀なくされるとの予想や、すでに先手を打って価格を引き上げているとの報告も出ています。中東情勢の緊迫化による原油価格の上昇も、ガソリンや鶏卵といった身近な商品の値上がりにつながり、消費者のインフレ期待に影響を及ぼすリスクがあります。
パウエル議長は、物価の動きを振り返れば中立水準まで政策金利を引き下げることが妥当としつつも、関税引き上げによるインフレ率上昇の可能性を指摘し、「様子見」の合理性を示唆しています。彼は、短期的な物価上昇が持続的なインフレ問題に発展しないよう、FRBが行動しなければならないと、インフレへの強い警戒感を示しています。
2. 関税政策の影響の不透明性
関税政策が経済に与える影響の不透明性は、FRBが慎重な姿勢を維持する大きな理由となっています。パウエル議長は、関税が消費者物価に及ぼす影響を金融当局として未だ見極めきれていないと述べ、関税のうちどの程度インフレとして表面化するかを前もって予測することは非常に困難だと指摘しています。
ムサレム・セントルイス連銀総裁は、関税が1~2四半期のインフレ率を加速させるシナリオと、物価への影響が長引くシナリオは「五分五分」であるとし、「FRBは夏の間は不確実性に直面する」と述べています。
トランプ政権による関税措置は、その内容が変遷し、政権の意向、司法の判断、議会の関与、産業界や市場の反応、貿易相手国の対抗措置など、複数の要因に影響されるため、今後も予測困難な4年間が続くと見られています。
関税引き上げに伴い小幅ながらレイオフを予定している企業も報告されており、先行き不透明感から求人を絞る傾向もみられ始めています。これらの要因が複合的に作用し、FRBの政策判断をさらに複雑にしています。
3. 経済全体の不確実性
世界経済の減速や地政学的リスクなど、経済の先行きに対する不確実性の高さも、利下げを急がない理由の一つです。多くのFOMC参加メンバーは、政府の政策に対する不確実性が高まる中で、家計や企業の景況感が幾分悪化していることを指摘し、高い不確実性は消費支出や企業の雇用・投資活動を抑制する可能性があると見ています。
経済政策の不確実性が高い時期には、企業が投資を抑制することが実証的に明らかになっています。金融政策の不確実性も、企業の設備投資に有意な影響を与えるとされています。EPU(経済政策不確実性)指数の分析によると、政策の不確実性は企業の資本コストを上昇させ、イノベーションや投資を低下させる効果があることが示されています。
FOMC内部の意見分裂 – ドットチャートが示す複雑な構図
6月のFOMCでは年内に2回の利下げ予想が維持されたものの、委員間では意見が分かれており、特に7月の利下げには慎重な姿勢が目立ちます。ドットチャート(FOMCメンバーの金利見通し)を見ると、2025年末の金利見通しにおいて、利下げゼロの現状維持派が7人いる一方で、2回以上の利下げ派が8人、3回以上の利下げ派も2人おり、FOMC内でコンセンサスができていない状況が示されています。
この意見の分裂は、各メンバーがインフレ見通し、経済成長、労働市場の状況について異なる評価を持っていることを反映しています。特に、関税政策の影響をどの程度織り込むかについて、メンバー間で見解が大きく分かれているようです。
主要な政策当局者の詳細な見解
パウエルFRB議長 – 慎重姿勢の中心人物
パウエル議長は、トランプ関税を巡る不確実性が依然高く、米国経済は良好な状態にあるため、利下げを急がず、状況を見極めるという従来の見解を繰り返しています。彼は「不確実性が高く確信を持てない段階」であることを繰り返し、利下げのタイミングを明言することを避けています。
現在の政策スタンスは「適切な位置にある」とし、「データを見極める時間的余裕がある」と述べています。労働市場は底堅く、消費も安定しており、住宅市場は構造的な問題であって景気の弱さを直接示すものではない、として「今は動く時ではない」という考えを示しています。
パウエル議長の慎重姿勢の背景には、2021年8月のジャクソンホール会合でインフレを「transitory(一時的)」と評価し、その後の急激なインフレと拙速な金融引き締めを招いた苦い経験があります。この経験から、インフレは警戒しすぎることはないと考えており、「出遅れ」を防ぐために慎重な姿勢を維持しています。
また、FRBの使命は物価の安定と最大限の雇用であり(デュアルマンデート)、雇用が強いままで、粘着質なインフレが残る上に、関税に伴う政策インフレがどうなるか見通せない難しい状況にあると認識しています。
デーリー・サンフランシスコ連銀総裁 – 楽観的な秋の利下げ予想
デーリー総裁は2025年6月26日に、関税が大幅または持続的なインフレの急上昇につながるとは限らないという証拠が増えていると指摘しました。彼女は、労働市場が減速しているものの低迷の兆候は見られないとした上で、「秋ごろから金利調整を開始できるという私の基本的な見通しは、今のところ変わっていない」と語っています。
インフレを巡りさらなる情報を待っているが、関税の影響が抑制されれば、秋の利下げが有望であるという見解を示しており、FOMC内では比較的ハト派的な立場を取っています。
バーキン・リッチモンド連銀総裁 – 辛抱強い姿勢を強調
バーキン総裁は「性急な利下げには得るものが少ない」と述べ、不確実性が高いため、辛抱強く見守るべきだとの見解を示しています。彼は、政策の不確実性が通り過ぎるのを待っていると語り、インフレ率が2%の目標に戻ると確信できるまで、金利は適度に抑制的な水準にとどまるべきだと指摘しています。
センチメント低下による消費への影響は確認されておらず、人々は投資判断において忍耐強くなっており、データは経済が同じ軌道にあることを示している、と述べています。
ボウマンFRB副議長 – サプライズ発言の真意
「最後のタカ派」と呼ばれてきたボウマンFRB副議長が、チェコ・プラハでの講演で、もしインフレ圧力が抑制されたままであれば、7月のFOMCで利下げを支持する用意があると発言しました。この発言は、FRBメンバーの中でも最も利下げに慎重と見られてきた彼女からの予想外のシグナルでした。
しかし、この発言の背景には、銀行の資本規制(補完的レバレッジ比率、SLR)の見直しを促進する政治的な狙いがあった可能性が高いと分析されています。SLRは、銀行が米国債を保有するほど自己資本規制に引っかかる実務上厄介な制度であり、ボウマン氏はこの規制が市場の機能を阻害しているため、見直しが必要だと明言しました。
トランプ政権が米国債の大量発行による財政拡大(インフラ、軍備再建、報復関税など)を計画しているため、大手銀行の国債吸収能力を回復させる必要があると考えられており、バーゼルIII最終案の緩和も同時に検討されているとのことです。
その他の主要な政策当局者の見解
グールズビー・シカゴ連銀総裁:インフレが明確に減速すれば利下げ再開もあり得るが、確証が必要と述べています。
カシュカリ・ミネアポリス連銀総裁:インフレ面で極めて良好なデータが得られれば一段の金融緩和を支持し、インフレ率が実際に低下している場合、なぜ金利を現行水準に維持しなければならないのか分からないと述べています。FRBはインフレ期待の安定に引き続き注力する必要があるとも指摘しています。
ウィリアムズ・ニューヨーク連銀総裁:緩やかに制約的な政策姿勢は堅調な経済成長と労働市場の状況を維持しながらインフレ率2%への回帰を支えるはずで、インフレ圧力はさらに弱まるだろうと述べています。
ハマック・クリーブランド連銀総裁:労働市場が堅調に推移する中、インフレ圧力は一様でないものの緩やかに緩和しており、インフレ率が目標に向けて低下していることを示す追加的な証拠を確認した上で利下げを支持したいと述べています。
ムサレム・セントルイス連銀総裁:消費支出と住宅市場に関する経済指標は予想を下回っており成長に対する下振れリスクになっているとし、企業からの報告は強弱まちまちになっていると述べています。インフレ期待の安定は金融政策の判断材料ではなく、その結果であるため、「油断すべきではない」とも指摘しています。
ウォラーFRB理事:FRBの政策は依然として制約的であり、年内に2回の緩和を実施するという基本シナリオは維持されており、最近の指標は景気低迷の拡大を示していると述べています。
コリンズ・ボストン連銀総裁:トランプ政権が発表した新たな関税措置がインフレ圧力を高める恐れがあるため、金融政策運営について忍耐強く慎重になることが適切であり、追加の調整を急ぐ必要はないと述べています。
ローガン・ダラス連銀総裁:労働市場が不安定にならない限り、たとえインフレ率がFRBの2%の目標に向けて低下したとしても、かなり長い期間金利を据え置くこともあり得ると述べています。
シュミッド・カンザスシティー連銀総裁:最近のインフレ期待の上昇を踏まえ、インフレ抑制において警戒を緩めるべきでなく、インフレ指標も依然総じて目標の2%を上回って推移していると述べています。
ハーカー・フィラデルフィア連銀総裁:失業率は依然低く成長も続いているが、これに対する脅威は存在すると述べています。
経済指標の詳細分析
労働市場の微妙な変化
5月の米雇用統計では、就業者数(前月比69万6,000人減)、失業者数(同7万1,000人増)、労働参加率(62.4%、前月から0.2ポイント低下)を踏まえた失業率は4.2%で前月とほぼ変わらず、市場予想と一致しました。
労働参加率の低下や、それにもかかわらず失業率がほぼ変化しなかったことを踏まえると、雇用環境は緩やかに悪化しつつあると見ることもできます。ただし、賃金上昇率は高い伸びを保っており、労働市場全体としては依然として堅調さを維持しています。
住宅市場の構造的課題
5月の米新築住宅販売件数は、前月比13.7%下落し、7カ月ぶりの低水準となる62.3万件に落ち込みました。これは、高止まりする住宅ローン金利が主な要因とされています。新築住宅の在庫は2007年以来の水準まで増加しています。
パウエル議長は、住宅市場は構造的な供給不足の下にあるとの見方を示し、政策金利は需要の抑制を通じて価格安定に寄与していると説明しています。
消費者支出の強弱まちまち
5月の米小売売上高では、ガソリンや自動車といった品目がさえない結果となったものの、スポーツ用品や衣類、オンライン販売などは好調でした。FRBの定点観測では、飛行機の搭乗人数、レストラン予約サイトの件数、ホテルの空室率なども景気の急激な悪化を示す兆候は見られないとされています。
金融政策の歴史的教訓と理論的背景
FED VIEWとBIS VIEWの対比
資産価格の変動と金融政策の関連について、FRB(FED VIEW)は資産価格上昇期には中立的で、崩壊期には思い切った対応をとるのに対し、国際決済銀行(BIS VIEW)は資産価格上昇期における金融的不均衡の重要性を強調し、引き締め的な金融政策運営(”leaning against the wind”型)を示唆する点で対照的です。
BIS VIEWは、日本の経験を例に、デフレ・リスクを恐れる非対称な金融緩和が長期的な金融危機のリスクを高めるとし、金融政策もそれを念頭に置いた運営を行うべきだと主張しています。現在の標準的な枠組みでは、デフレ回避のための金融緩和が金融面の不均衡をもたらし、不況やデフレを生じさせる可能性も勘案する必要があるとして、景気の上昇局面と下降局面でより対称的な政策対応が必要だとされています。
経済政策不確実性(EPU)指数の含意
経済政策の不確実性は、企業の資本コストを上昇させ、イノベーションや投資を低下させる効果があります。特に、金融政策の不確実性も企業の設備投資に影響を与えることが示唆されています。2007年後半から2008年前半にかけての金融政策の不確実性のシェア拡大は、米国でのサブプライム問題を受けた金融市場および金融当局の対応に関する報道の増加を反映していると分析されています。
市場の利下げ期待と今後の注目点
利下げ確率の詳細分析
CMEのFedWatchツール(FF金利先物データに基づく)によると、7月の利下げ再開の確率は現時点(6月12日時点)で10%から15%程度と限定的に見積もられています。これは、FOMC後のパウエル議長の発言が慎重だったことや、直近のCPIがやや上振れしたことなどが背景にあります。
市場の早期利下げ期待は低下しており、最も多い見方は9月以降とされています。しかし、構造的に見ると、ボウマン副議長の発言や規制改革の動向を考慮すれば、7月利下げの構造的確率は25%と推定する見方もあります。これはメインシナリオではないものの、無視できない水準であり、サブシナリオとして警戒すべきだとされています。
重要な経済指標カレンダー
今後の金融政策を左右する重要な経済指標として、以下が注目されています:
- 7月5日:雇用統計
- 7月11日:消費者物価指数(CPI)
- その他:PCEデフレーター、FRB高官発言
これらの指標が明確に下振れすれば、7月FOMCでの利下げは一気に現実味を帯びるだろうと見られています。
政治的圧力とFRBの独立性
トランプ大統領はFRBに対して継続的に利下げを要求しており、5月CPI公表後には1%ポイントの利下げをSNSで要求しました。さらに、トランプ大統領はパウエル議長の後任を早期に指名する意向を示唆し、「影の議長」を置く方針も表明しており、これが実現すれば将来の政策パスの重要性が低下する可能性もあります。
トランプ大統領が次期FRB議長の早期指名を検討していると報じられており、パウエル議長の後任として元FRB理事のウォーシュ氏や現国家経済会議(NEC)委員長のハセット氏が検討されています。
しかし、FRBは政治的に中立であるとされており、パウエル議長はデータに基づいた政策判断を強調し、政治的圧力に影響されない姿勢を示しています。経済指標に基づいた透明性の高い金融政策運営方針を維持する考えを示し、トランプ大統領の不当な政治介入に対して毅然とした態度を維持することが、米国金融市場の安定とドルの信認維持に貢献すると考えられています。
興味深いことに、パウエル議長は表向き慎重姿勢を維持していますが、他の理事たちが利下げや制度緩和の議論を進めるのをあえて止めておらず、「沈黙の容認派」とも言える態度をとっています。これは、トランプ政権の金融財政政策と摩擦を起こさずにFRBの独立性を保つという、老練なバランス感覚だと解釈されています。
まとめ – 複雑化する金融政策の舵取り
FRBの7月利下げに対する慎重姿勢は、インフレの不確実性、関税政策の影響、そして経済全体の不確実性という3つの要因に支えられています。パウエル議長をはじめとする政策当局者の多くは、データに基づいた慎重な判断を重視し、性急な利下げを避ける姿勢を示しています。
FOMC内部では意見が分かれており、ドットチャートが示すように、メンバー間でコンセンサスが形成されていない状況です。これは、関税政策の影響や経済見通しについて、各メンバーが異なる評価を持っていることを反映しています。
市場の7月利下げ期待は10-15%程度と低いものの、構造的な観点から見れば25%程度の確率があるという見方もあり、完全に排除することはできません。今後の経済指標、特に7月5日の雇用統計と7月11日のCPIが、政策判断に大きな影響を与える可能性があります。
さらに、トランプ政権の政治的圧力、銀行規制の見直し、財政拡大政策など、金融政策を取り巻く環境は複雑さを増しています。FRBは、これらの要因をすべて考慮しながら、物価安定と最大雇用という使命を果たすため、慎重かつ柔軟な政策運営を続けることが求められています。
投資家や市場関係者は、これらの動向を注意深く見守りながら、様々なシナリオに備える必要があります。特に、メインシナリオだけでなく、サブシナリオにも十分な注意を払うことが、現在の不確実な環境下では重要となるでしょう。
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参考資料
- バブルの生成・崩壊の経験に照らした金融政策の枠組み(日本銀行)
- 2025年6月FOMCプレビュー(第一生命経済研究所)
- 2025年はどんな年? 金融市場のテーマと展望(ニッセイ基礎研究所)
- トランプ関税の影響、米インフレ波及これからか(野村證券)
- FOMCは終わっていない─”最後のタカ派”ボウマン副議長が利下げを語った本当の理由(三菱UFJ eスマート証券)
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