目次
イスラエルのシリア空爆を読み解く:少数派保護か、地域覇権か – 2025年7月の中東情勢分析
2025年7月16日、イスラエル軍がシリアの首都ダマスカスにある暫定政府の国防省本部や大統領宮殿周辺を空爆しました。シリア国営通信によれば3人が死亡、34人が負傷し、シリア保健省の報道官は少なくとも1人が死亡し、18人が負傷したと報告しています。国防省の建物への攻撃では、治安部隊の隊員5人が死亡したと現地の医療関係者が伝えています。この空爆は、イスラエルがシリア領内で実施した3日連続の攻撃でした。
スウェイダの惨劇:空爆の直接的な引き金
今回の空爆の直接的な要因は、シリア南部スウェイダ県で発生した深刻な宗派間衝突です。2025年7月13日に勃発した地元遊牧民(ベドウィン部族)と少数派イスラム教ドルーズ派の間の激しい戦闘は、想像を絶する規模に拡大しました。
犠牲者数の推移と各機関の報告
当初、シリア暫定政府は7月14日の時点で30人以上が死亡、100人近くが負傷したと発表しました。しかし、事態は急速に悪化し、複数の機関から以下のような報告が上がっています:
各機関による死者数報告(時系列順)
- 英国拠点・シリア人権監視団(初期):7月13日午前以降の衝突による死者が少なくとも203人(治安部隊93人、ドルーズ派住民71人、ベドウィン18人)
- シリア人権ネットワーク:衝突による死者数を169人と報告
- 英国拠点・シリア人権監視団(更新):248人に上方修正(ドルーズ派92人を含む)
- 現地治安関係者:300人が死亡したと証言
- 7月16日朝までの総合報告:子供4人、女性5人、兵士と治安部隊138人を含む250人以上が死亡
⚠️ 特に衝撃的な事実:少なくとも21人が「現場での処刑」で殺されたとされ、シリア内務省が政府軍とその同盟勢力がドルーズ派の民間人21人を処刑したと非難されています。
シリア暫定政府の対応とイスラエルの警告
シリアの暫定政府は、治安回復のために軍部隊をスウェイダに派遣しました。しかし、イスラエルはこれに対し、国境に近いシリア南部に軍が展開されればイスラエルが危険にさらされると主張し、ドルーズ派を攻撃する勢力に撤退を命じ、応じなければ爆撃すると警告していました。
「イスラエルは、この『明確なメッセージを送るため』、ダマスカスにある軍司令部入口を攻撃した」
– イスラエル国防軍声明
イスラエルのカッツ国防相は、シリア政府軍がドルーズ派への攻撃を阻止しておらず、むしろ問題の一部になっていると非難し、部隊が撤退するまで攻撃を続ける考えを明らかにしています。
イスラエルの多層的な思惑:表向きの理由と真の狙い
1. ドルーズ派保護という大義名分と現実
イスラエルは、占領しているゴラン高原にもドルーズ派の住民がいることから、彼らの保護を名目にシリアへの軍事作戦を継続しています。2024年12月のアサド政権崩壊以来、イスラエルは以下の活動を展開しています:
- クネイトラ県やダラア県での占領地を拡大
- シリア在住のドルーズ派宗教指導者らをシリア政府の管轄権を無視してイスラエルに入国させる活動
- 国境での越境阻止活動(イスラエル国防軍は越境を「犯罪行為」と呼称)
「イスラエル国防軍、空軍、その他の部隊が『ドルーズ派の兄弟たちを救い、政権のギャングを排除するために尽力している』」
– ネタニヤフ首相
2. 軍事力強化と「シリア全土」への介入拡大
イスラエル国防軍参謀総長のエヤル・ザミール中将は、軍に対し、同地域での監視および攻撃能力をさらに強化するよう命じました。具体的な指示内容:
イスラエル軍の戦力配置と方針
- 北部軍司令部にシリア国境への部隊転用を指示
- 「攻撃の頻度を増やし、シリアのドルーズ派に対する攻撃を阻止する」方針
- ゴラン高原に2個師団を展開
- ドローンや戦闘機を含む航空戦力を同地域に転用準備完了
- 第210バシャン師団の戦力を強化
イスラエル国防軍は、「スウェイダ地域、ジャバル・アル・ドルーズ地区、そして必要な場所で彼らを守るためにシリア全土の標的を攻撃している」と声明で述べました。これは「単なる国境防衛」を超えた「地域パワーバランスを動かす軍事的シグナル」であると指摘されています。
3. イラン影響力の排除という戦略目標
ガザ戦争と「抵抗の枢軸」の弱体化
2023年10月に始まったガザ戦争により、ガザのハマスやレバノンのヒズボラはイスラエルとの激戦で弱体化しました。
米国から供与された主要兵器
- 戦車砲弾や155ミリ榴弾
- 約900kg級の大型爆弾
- 精密誘導型の空対地ミサイル
- バンカーバスター(地中貫通爆弾)
これらの高い攻撃・殺傷力を持つ兵器は、イスラエルの軍事作戦にプラスの効果をもたらし、ハマスの戦力を事実上壊滅状態に追い込みました。
アサド政権崩壊とイランの「陸の回廊」喪失
2024年12月のアサド政権崩壊は、イランにとって「陸の回廊」(イラク・シリア・レバノンを結ぶ支援ルート)の喪失を意味し、中東地域におけるイランとその同盟勢力の劣勢を決定づけました。
「アサド政権の崩壊は、ハマス、ヒズボラ、イランに与えた打撃の直接的な結果である」
– ネタニヤフ首相
2025年6月の「12日間戦争」の詳細
「12日間戦争」タイムライン
- 6月13日:イスラエルがイランへの大規模軍事攻撃を開始。イラン国内の核関連施設をはじめとする100か所以上を約200機のイスラエル軍機で空爆
- 攻撃成果:イラン革命防衛隊幹部や核科学者ら10人以上が殺害
- 6月14日以降:石油貯蔵施設、燃料関連施設、イラン国営放送局も標的に
- イランの報復:無人機100機以上と数百発の弾道ミサイルを発射
- 6月21日:アメリカ軍も参戦、イランの3つの核施設を攻撃
- 最終被害:イラン側430人死亡、3,500人以上負傷/イスラエル側28人犠牲
- 6月24日:戦闘終息
イランの警告:最高指導者アリー・ハメネイ師は、イランはいかなる新たな軍事攻撃にも対応する準備ができており、12日間戦争時よりも大きな打撃を与えることができると警告しました。
4. シリアの防衛能力の恒久的な弱体化
イスラエルは、シリアの防空・研究センターといった国防インフラを繰り返し攻撃し、以下の目標を追求しています:
イスラエルの戦略目標
- シリアから防衛能力を奪い、無制限に領空侵犯できる状況を作る
- 緩衝地帯占領後、シリア全土の重砲を破壊
- イランがシリア経由でレバノンに武器を密輸するのを阻止
- 「安全地帯」を創設
- 化学兵器や長距離ミサイルが敵対勢力の手に渡るのを防ぐ
- シリア南西部を国境の非武装地帯として維持
- 「10月7日のシナリオ」(ハマスによる奇襲攻撃)の再発防止
国際法違反の懸念と「ベギン・ドクトリン」の歴史
国連憲章第51条との矛盾
国際社会では、イスラエルの行動が国連憲章第51条に定められた自衛権の制限的な規定に反するとの批判的な意見が多く存在します。
国際法上の問題点
- 国連憲章は武力による紛争の解決を禁じ、平和的手段での解決義務を課している(第33条)
- イスラエルが自ら認める「先制攻撃」は、国連憲章と国際法に明白に違反すると指摘
- 1974年の引き離し協定違反として国連から非難
- 国連事務総長:協定は「完全に有効」であり、「分離地域にはいかなる軍隊も活動もあってはならない」
「ベギン・ドクトリン」とイスラエルの核保有疑惑
「ベギン・ドクトリン」の歴史
- 1981年:イラクのオシラク原子炉攻撃
- 2007年:シリアのアル・キバール原子炉攻撃(オーチャード作戦)
- シリア軍のレーダーに偽の画像を送り続ける
- 特殊部隊が地上からレーザーでミサイルを誘導
- 高度な作戦能力を駆使
このドクトリンに対して欧米では意見が二分されており、大半の政治家は、イスラエル自身の核保有疑惑がある中で、外交ではなく武力を用いるイスラエルの姿勢に批判的です。
イスラエルの核能力
- 核兵器の保有を否定も肯定もせず(「無言の抑止力」戦略)
- ネゲブ砂漠のディモナ近郊に核技術研究センター
- 数百発の核爆弾・核弾頭を保有すると推定
- 「サムソン・オプション」:敵国から甚大な被害を受けた場合に核兵器で報復する最終戦略
「予見的自衛」の議論と国際法上の課題
イスラエルや米国が支持する「予見的自衛」は、学説の多数説とは異なり、国際法上その位置づけが未だ難しいとされています。
警告される危険性:各国の独自の評価基準による「差し迫った脅威」の解釈は、その概念を拡散させ、脅威が差し迫っていないにもかかわらず、自衛権の行使が許される事態を招く恐れがあります。一部の専門家は、イスラエルの理屈を認めればハマスの襲撃も正当化されうると指摘しています。
大国の思惑と複雑な国際関係
アメリカ:戦略的資産と戦略的負担の狭間で
盤石な軍事支援と戦略的資産としての価値
イスラエルがアメリカに提供する戦略的価値
- 地理的優位性:中東の要衝に位置
- 技術的貢献:
- 先進的なミサイル防衛システム(アイアンドーム)
- サイバーセキュリティ技術
- 情報提供:イラン、ヒズボラ、ハマスに関する貴重な情報
- 軍事的機能:中東での優位維持と敵対勢力封じ込めの手段
対イラン共通戦略と「悪の枢軸」への対抗
アメリカとイスラエルは共に、イランの地域的な野心や核開発を抑止するという共通の目的を共有しています。
米国の中東戦略
「イラン、ロシア、中国」という「悪の枢軸」に対抗するため、「アメリカ・イスラエル・アラブ諸国の連携」を推進。現在議論されているアメリカとサウジアラビアの軍事協定には以下が含まれる:
- 中国製兵器の購入停止
- 中国からの大規模投資制限
- 米国の安全保障保証と最新兵器へのアクセス
- イスラエルとサウジアラビアの関係正常化への道筋
戦略的負担と国際的孤立のリスク
アメリカが直面する課題
- アラブ諸国やイスラム圏での反米感情の高まり
- 国連などでイスラエルを擁護することによる外交的孤立
- イスラエルの「無謀な軍事行動」に巻き込まれるリスク
- 毎年数十億ドルの軍事援助による財政負担
- グローバル・サウス諸国の民主主義理解への悪影響
トランプ政権の複雑な対応
トランプ政権の中東政策
- 基本方針:「アメリカ・ファースト」- 中東介入資金を国内インフラに転用
- イスラエル関連:
- ダマスカス空爆中止を要請(イスラエルは応じず)
- イラン核施設攻撃への参加を検討
- 「細かい条約違反はあったが、大きな戦争に発展させなかったことが大事」と肯定的見解
- ガザ関連:
- 停戦と人質解放の合意促進(7月17日カタール首相と会談)
- 「中東のリビエラ」構想(国際法違反として批判)
- 親イスラエル路線:アブラハム合意復活の可能性
ロシア:ウクライナ戦争への集中と中東での影響力低下
イランの友好勢力であるロシアは、2025年6月のイスラエル・イラン間の「12日間戦争」において、言葉での非難を除けばほとんど傍観者に徹していました。
ロシアの現状
- 最優先事項:ウクライナでの「特別な軍事作戦」(クレムリン発表)
- 能力不足:他国援助の余力なし
- 中東政策の混乱:アサド政権崩壊による影響力低下
- 外交的対応:シリアの新支配勢力と接触中
- 批判:イスラエルの1974年引き離し協定違反を指摘
中東フォーラムのグレッグ・ローマン氏:「ロシアの中東政策はめちゃくちゃになった」
中国の視点:「抵抗の枢軸」崩壊への懸念
中国の分析と立場
- 「抵抗の枢軸」崩壊とイスラエル優越が米国の戦略的焦点をアジアに集中させる可能性
- 米国に親密なイスラエルの優越は中国の中東影響力拡大への脅威
- 明確な立場:外部からの軍事介入によるイラン政権交代を決して支持しない
イランの対応と核交渉への圧力
イランを取り巻く状況
- 米国との核交渉再開を国際社会から圧力
- 米国と欧州主要3カ国が8月末を合意期限に設定
- イラン外務省:イスラエルの軍事侵略継続と国連安保理の無策を批判
シリアの複雑な内部状況
多重構造状態の現実
現在のシリアは、単一の中央政府による支配ではなく、複雑な「多重構造」状態にあります:
シリア国内の勢力図
- シリア暫定政府(シャラア暫定大統領率いる)
- イスラエルから「偽装したジハード主義者」と呼称
- 旧アサド派勢力
- 軍・治安組織・情報網・犯罪組織が地下化
- 各地で反政府活動を展開
- 3月にアサド派残党が待ち伏せ攻撃で13名の治安部隊員を殺害
- 宗派・部族勢力(ドルーズ派、ベドウィン等)
- 外国勢力の影響圏(イスラエル、イラン、トルコなど)
中東情勢の日本への波及効果
ガザ地区の深刻な人道危機
2025年1月19日にガザでの停戦合意が発効したものの、ヨルダン川西岸地区ではイスラエル軍の攻撃が続いており、多くの民間人が犠牲になっています。
国境なき医師団・日本人スタッフの報告
- 食料価格の異常な高騰:スイカ1玉 約6,600円
- エネルギー危機:ガスがなく薪で料理
- 7月末の懸念:
- 病院の機能停止
- 飲み水の不足危機
イスラエルとハマスの停戦協議は続いていますが、イスラエル軍の完全撤退と恒久的な停戦を求めるハマスと、一部撤退と一時的な停戦を主張するイスラエルとの隔たりは大きく、合意の見通しは立っていません。
日本経済への具体的な影響メカニズム
中東緊張が日本経済に与える影響の流れ
- 紛争地域近くの海上輸送リスク増大
- 保険料の高騰
- 運賃への上乗せ
- 最終的に消費者価格の上昇
日本の脆弱性
- 原油輸入の9割を中東に依存
- ホルムズ海峡など輸送路に地政学リスクが集中
- 原油供給ルート寸断のリスク
- 予想される悪循環:貿易赤字拡大→為替下落→インフレ進行
イスラエル社会の軍事的側面
イスラエルの兵役制度と社会
- 就職への影響:軍歴が条件となることが多い
- 兵役拒否の代償:将来に極度に不利
- 非ユダヤ人住民:兵役免除でも志願兵として従軍する例が少なくない
- ドルーズ派:「忠実な少数派」として多くが軍務に就く
- 職業軍人の待遇:
- 40代で定年
- 高額な年金(日本円で月額約80万円)
国際社会の対応と今後の展望
国連および国際法の観点
国際社会の反応
- シリア:イスラエルの攻撃を「侵略行為」として国連安保理に対処要請
- エジプト外務省:「権力の空白を利用してシリア領土をさらに占領し、国際法に違反する共犯関係を作ろうとしている」と非難
- 国連安保理:イスラエルのシリア攻撃を受けて会合予定
- 国連軍:イスラエル軍の停戦協定「深刻な違反」を警告
- 問題点:国連安保理常任理事国の機能不全
イスラエルの長期戦略
イスラエルがシリアで危機を扇動する目的は、宗教的・民族的対立を激化させて長期的な内戦を引き起こし、政治的安定を阻害し、和平プロセスを妨害することにあります。
イスラエルの戦略目標一覧
- 領土拡大
- シリアの防衛能力の恒久的な弱体化
- シリア国内の情勢不安に乗じること
- 圧力下での関係正常化に向けた条件作り
- 地域におけるイスラエル、米国、西側諸国の影響力拡大
結論:複雑化する中東情勢と不透明な将来
イスラエルはシリアにおけるドルーズ派の保護を名目に、アサド政権崩壊後のシリアの混乱に乗じて自国の安全保障上の優位性を確立し、イランの影響力を一層削ぐことを目指していると見受けられます。しかし、この行動は国際法違反の可能性をはらみ、国際社会、特にアメリカからの抑制要請を受けています。
継続する人道危機
- シリア人口の約4分の3が人道危機に瀕している
- 国内避難民:680万人
- 国外難民:536万人
- 安定化にはほど遠い状況
中東情勢全体の不安定化は、引き続きガザの人道危機や世界経済にも影響を与え続けています。この地域は多層的な対立軸が絡み合い、「世界の多極化」戦略を加速させるロシア、中東における影響力拡大を図る中国、そして「アメリカ・ファースト2.0」を掲げる米国といった大国の思惑も交錯しており、その動向は今後も予断を許さない状況が続くでしょう。
イスラエル国防軍参謀総長の指示により、攻撃の頻度を増やす方針が示されており、紛争が短期的に収束する可能性は低いと考えられます。日本を含む国際社会は、この複雑な状況を注視し、人道支援の継続と外交的解決への道を模索し続ける必要があります。
コメントを残す